チャンスを知らない自分

世の中には、失敗をものともせずグイグイと走り続ける人がいる。そんな人を見ていると、憧れる半面、疲れる。関わりを避けるように距離をとる。めんどくさいから。でも、憧れてしまう。社長に憧れるのと同じように。素材としてほぼ同じはず。でも、伸びる人は伸びる。落ちる人は落ちる。何が違う。何からすればいい?

 

僕の悪いところはごまかして笑って逃げるところ。もしくは、ごまかして笑って恨むところ。運命を恨んでしまう。人生を楽しんではない。念仏のようにやり直したい、早く人生やめたいと唱えてる。でも、自発的に肉体を傷つけることはない。逃げて恨んで終わり。今は自分の社会的地位の無さに絶望している。自分を認める余地は無いと思っている。僕にとって社会的な成功は、憧れだ。だけど、今は生きていない。もぬけの殻。思考停止中だから。何一つの作戦もないのだ。もう、何もかも知るべき大人のはずなのに、何も知ろうとしていない。

 

最近、発色について調べる機会があった。事象と原理を照らし合わせると、今まで何気なく目に入ってきている世界さえも変わって見える。当たり前の事象についても、原理や原則が存在し、理論的な解釈がなされている。その理論を自分なりの発見として知り、楽しんだ。

 

僕は単純なんだ。期待以上のことがあるとたちまち虜になる。興味が湧く。一方で期待はずれだと、逆上する、落胆する、絶望する。理論では太刀打ちできないからだ。自分の理論どおり人生。それが僕の人生だ。しかし、人生は僕の理論どおりには進まない。思考停止の僕を置き去りにして、周りも時間もどんどん進んでいく。

 

期待を明確にしよう。期待は変わってもいい。僕を受け入れよう。怠け者の自分。身勝手な自分。そうすれば自発的に機会を作れる。疲弊せず、機会を伺う。

どうしても効率的な人生を考えてしまうので、行動が画一的になってしまうけど、せめて思考は世界を変え、自分と今に興味を持って生きていたいな。

やってみよう

『仕事の失敗』

失敗を恐れて、思考がよく止まる。事案は成功と失敗に二分され、失敗すると後がないと思って、事案が進まない。

また、どうしても上司の考えとずれがないか、評価されるかがとても気になる。自信のなさからくる虚しさ。上司のお墨付きがないと昇進できないから、思い切った行動に出れない。

 

それでも、仕事の姿勢を生産性の視点で変えようとしたけど、今は生産性が下がっている。仕事の失敗が連続している。失敗よしすぎで、モヤモヤする。並行した仕事がそれぞれ進捗が悪く、今はやることがない。そんな風に思えてしまう。

 

失敗から得られたものはなんだろう。何が悪かっただろう。

 

『悪かったこと』

1.日々の振り替えができてない

 あっという間に過ぎる時間について、生産性の視点で評価できていなかった。疲労感で単調に過ぎる時間に無関心だった。

 

2.目的ありきで計画が杜撰

 決めてしまった期限を厳守するため、やりきることが目的となり、計画のあやふやさをよしと思っていた。あやふやな計画も共有できてなく、不安を助長する進め方になっていた。

 

3.並行して進める仕事のバランスが取れない

 それぞれのリソース配分や関連性を可視化して、ブラッシュアップしてなかったので、何をしたのか、いつからするかが管理できていなかった。

 

4.自分で仕事を抱える癖を捨てれてなかった

 生産性を高めようと苦悩したが、まだ自分の管理能力が弱かった。昔の記憶に頼り、変えることを試さず従来の方法で実行したため、膨大な時間を欠いてしまった。その空き時間で何ができるか、何をするべきか、生産性を上げることで何が得られるか、と自問自答できていなかった。生産性を上げる目的が定時帰宅になっていて、成果向上になっていなかった。

 

『学んだこと』

 1.問われるのは約束を守ること

 どんなに先読みして周りを促しても、計画を立て実行しても、最初に決めた目標(KPI、行動目標)を死守することが求められる。自分で約束したことは、どんな理由があっても、例えば守れない理由を上司と共有できていても、約束を破ったことは大きなマイナス評価となる。生産性を追及する過程で目先の効率に目が向き、期首に交わした約束を軽視していた。周りのメンバーの遅れなど理由にならない。上司の同意というのは、結局のところ甘えと評価される。そもそも、上司の評価を気にして高めの目標を期首に立てたのが大きな間違いだった。

 

2.生産性、成果、評価の向上の両立は、速度と決断力

 定時帰宅で勤務時間を制限すると、毎日の行動のやり過ごしや判断間違えが、業務の負荷となって、並行して仕事ができなかった。意味を考えて仕事を先伸ばしても、後の仕事が辛くなるだけだった。

 周りの人を巻き込みながらする仕事の計画を修正する頻度を、相手の反応や感情を気にして少なくする傾向があり、それが裏目に出て、アクセルを踏み込むタイミングを逃していた。

 失敗を恐れて進まないのも、決めて後、行動が遅いのもダメ。速く決断し、速く行動し、これを繰り返す。PDCAを自分で考えて回す。上司に途中の過程は共有に留め、自分の考えや計画に責任を持つ。毎日の自分の行動を振り返って作戦を練る。そんな当たり前のことができてなかった。

 

3.上司は窓口

 長年、上司の役割とは、部下の査定者、相談相手と思っていた。その人物像に上司を重ねてしまうので、自分を卑下していた。自信がないように見せていた。いつまでも先生と生徒の関係だった。そんな関係は間違え。上司は他人。自分は自分。上司は報告相手でも相談相手でもない。上司も自分以上に心配はしない。自分で自分を助けるしかない。上司は外の意見の受付窓口。知るのも、選ぶのも、判断するのも自分。上司の興味は仕事のできばえと期限だけ。定量的に判断できる成果だけ。

 

『まとめ』

振り返ると勤め人として当たり前にするべきことや思考が備わってないから、不安や失敗が起きたことが良く分かった。こうやって心を整理するのは大切。

 自分を助けるのは自分しかいないって改めて考え直すことができて、よかった。

おもいっきり高い目標を立てよう

もし、資金が潤沢にあり、僕が総指揮官だとして、工場の生産性を上げて、めちゃくちゃ儲かって、もう君がいないとうちの会社はどうにもならんはと言われるような、夢のような状態を作ってしまった自分が居たとして、その行動を振り返った時の夢物語を語りたい。だって面白そうだし、人生に役立つ掘り起こすべき原石が眠っているはずと思うから。

まずは人が居なくなる。何でもかんでも機械化、自動化が進んでいる。どんなところに無駄が潜んでいるか、人の行動、物の流れ、加工点の挙動を可視化し、現象のメカニズムを捕らえ要因分析を重ねた結果だ。
例えば元の環境は源流からの物の流れに任せていたり、流動の制約条件に拘り、作業頻度も多く煩雑となっていた。制約条件を根本から見直し無駄を無くしたのだ。

今まで実験的に妥協点を製品規格幅として設けるしかなかった規格そのものも根拠あるものになる。加工そのものの必要性が因数分解され、要素一つ一つの意味が明確になる。できばえの管理はなく、要素の管理でできあがりを予想し良品を作り上げるのだ。時系列で変化する要素の劣化や欠落に合わせ、機械が補正してくれる。

機械の故障はない。故障する前に直すのだ。事前に部品の故障や劣化を機械が察知し交換や調整を促すのだ。航空機では当たり前のことがなされている。修理待ちはない。機械が人を管理するように、機械が全てを管理している。

無人化が進み、人が入り込む余地はなくなる。
改ざん要素がなくなるので、生産性の向上と付加価値が同意となるのだ。


夢物語のはずなのに、セーブしている。自分が体験している現実で蓋をして、可能性をしまいこんでいる。

世界の技術の粋を集めればできるはずの夢物語。凡人が予見できることは叶う。実現できている。できないことなどない。超人ができないと思えたことさえもできてしまっているじゃないか。できるんだよ。向上心を持ち、自分の人生を自分で考えて生きよう。

ペットボトルの蓋の置き方

強炭酸水。新発売で85円と格安だったので思わず買う。炭酸水を飲むと痩せると聞いたことがあったし、元棋士の一二三さんが執拗に炭酸水を飲んでいたので、そんなにいいものかと思い飲んでみた。

口と胃がシュワシュワする。なぜか苦い。これはちびちびと飲むものなんだな。初めてウーロン茶を飲んだ時と同じだ。
中学生の僕(僕たち)は自転車で田舎から30キロ先の街まで行き、初めてお小遣いで自販機のウーロン茶を買った(250ミリリットルのロング缶)まずいのは自分のせいだと言い聞かせ飲みきった青かった僕。だから、苦く感じるのか。半分も飲めん。

ふと、ペットボトルの蓋を見る。僕は蓋を上にするのが習慣だ。上とは中身と接触する側を上にすること。蓋をおちょこのように置く。これは、中身と接触する面が汚れるのを防いでいて、中身の液体の汚れを防止していると思っていた。逆におちょこをひっくり返したように置くと、机と蓋の間の空間の埃が蓋にくっつく。密閉空間の埃の方が、大気中に漂う埃より蓋の中身に接触する部分に触れやすいので、蓋はおちょこのように置くが正解だと思う。

さっきまでは、そう思っていたが、違う気がしてきた。蓋の空いたペットボトルはどうだろう。ペットボトルの飲み口は蓋の中身と接触する部分と同じ大きさ。だから、ペットボトルの中に入る埃と蓋をおちょこのように置いた時に埃が付着する確率は同じくらいだろう。ただ、ペットボトルに入った埃は液体中に混入される。防衛策はペットボトルの飲み口をなるべく大気に曝さないことになる。蓋の置き方なんて、致命傷にはならない。そりゃそうだ。

なんてことのない事柄でも、主観で変わる。また、文字におこして整理して、考えに時系列を結びつけると、自分の拘りや別の視点が見えてくる。強炭酸のラベルにはスポーツ後の新提案と記載があった。ランニング後に飲んでみると、違う考えが浮かび上がるんだろう。すごい楽しみ。

忍耐

自分を変えるには忍耐が一番必要だ。自分を変えることは、成し遂げるほどの労力を注ぎ込む。今の自分は、今までの環境に合わせ、退化した自分だから。自分のある点から四方八方に選択を時間と共に蹴り返し、今の地点がもとの地点から上昇方向か下降方向か。目標と今の解離はどれくらいだろうか。どのような軌跡を歩んできただろうか。

人生は高次な時間軸の掛け合わせだから、今までの経緯とこれからの努力や試練が、模式かなされることはないし、予知することはできない。過去起きたことは予見はできて備えはあったかもしれないけれど、思い通りの結果になったことはない。

思い通りになるはずはない。社会や視点はは最適解で形成されない。常に自分の偏見バイアスが視点を狭め、路頭に迷うのだから。成長を実感できないのは、端的に成し遂げていない。やりたいことを決めず、やりきっていないのだ。変わるには誘惑に耐え、耐えて行動するしかない。

一見、理想とはほど遠い軌跡も価値あるものだと思う。今が次の機会の地盤固めで自分の可能性を伸ばす準備期間と思うか、変わらない明日の休息期間と思うかで、これからの軌跡が変わる。

変えたい自分と変わっていない自分。社会的にも自己判定でも思い通りの自分になっていない。だから変わりたいはずなのに、考えや見つからない手段に嫌気がさし、情報収集だけで勝手に倒れる自分。

仕事を宣言してしまうと、次を確約するのが、仕事を続けることが確約されて、宣言がとにかく嫌いな自分。

変われるきっかけは自分にある。変われない原因は自分にしかない。

クロール

息継ぎ、手を回し、同時に足をばたつかせ泳ぐ、クロール。並行で動作する一方で溺れる危険も潜む技法。力が入ると動作が固くなり、喉が開き、呼吸が乱れ、速度は出ない。
オリンピックを見ると洗礼された流線型のフォルムと一子乱れぬ動きは努力と才能の裏打ちに他ならない。
子供の練習に付き合いながら、僕の子供時代や今と重ねて、懐かしんだり、励ましたり。

泳ぎが練習の経験と勘から徐々に体得できるように、何事も鍛練が成長を促すけど、最初の一歩が出ない。溺れ死ぬ不安が勝り、震える。そして、周りの評価も気になる。自分の可能性を疑い、諦め始める。

その内、周りとの差が絶対的評価と感じ、絶望する。何を怖がるべきなんだろう。本当に怖いのは目の前の端的な評価ではない。何もできない自分が怖いはず。弱い自分になるのが怖い。それを認めざる得ない現実が怖い。

現実を否定せず納得して生きるためには、何が信念か、何が必要か戦略的に行動しないといけない。

数十年も勤めて、こんな状態なのだから、残念でしょうがない。上司の意向を汲んでいるようで、それを言い訳にして、何もしていない。僕にとって上司によく思われることが全てになっている。自分が正しいはずなのにそれを圧し殺して。納得できない人生なんて、虚しいだけ。上司はいつか居なくなるけど、心を拘りはいつまでも消えないから、タガを外して行動する。それには自分の意思と言える世界を作ることだ。誰にも縛られることない、信念と言う自分。

もがき苦しんで進んだ先に美しさが備わる。成功者も羨む相手も美しさの影に忍耐がある。今はむちゃくちゃでも進めばいい。進めばいつか自分を好きになる。

他人の目

仕事の同僚は自分にとってどのような人だろう。仲間、先輩、後輩、ライバル。多種多様な捉え方があると思うけど、僕は脅威と感じている。不完全な自分を曝すのが悲しい。

だから、周りの目や発言、評価が気になってしょうがない。負けが決まっている報告会など出席もしたくない。本来なら手本となることが理想とされる立場(年寄りなので)だけれど、苦痛で逃げたい。

仕事は自分が有利になるように自分が有能である様を型として作り上げなくてはいけない。先駆者となる上司が気に入る型を作り納得させなくてはいけない。仕事で生き抜きプライドを守る為に実力のない僕は同僚に脅えるだけ。だってどのような主張をしても、自分の能力、視野、技術の中の最適解で、絶対解ではないから。

自分を認めることができないので、同僚も認めることができない。同僚に憂えると共に、去勢を笑っているのだろう。心理も視界も曲がっている。僕を笑うささやきが聞こえるようで、勝手に屈辱感を感じ、怒りに満ちて、勝手に崩れてしまう。なぜ僕は輝けないのだろう。

他人を蔑んではいけない。蔑む根拠などない。誰だって最適解を主張しているだけ。忍耐で得た成果を主張しているだけ。
社長の資本を奪い取るのが、生きるための目的なのだから、去勢でもよく正攻法はない。

僕がこのゲームの世界観とルールを理解していないだけ。敗者は死ぬのみ。本当の意味の仲間など企業にはいるはずもない。